2017/03/27

デイヴィッド・アトウェル教授との2日間

3月24日と25日、東京大学の駒場キャンパスで、JMクッツェー研究の第一人者、デイヴィッド・アトウェルさんを迎えて読書会と講演会があった。主催は田尻芳樹教授研究室。

 一日目はクッツェーの最新作:The Schooldays of Jesus を読む会で、細やかな分析と自伝的な事実との絡み、他作品との響き合いなど、クッツェー読みならではの視点から参加者全員が深くコミットする意見、質問、指摘などを出し合って、濃密な時間があっというまに過ぎていった。

 二日目は講演会で、まずアトウェルさんの"The Comedy of Seriousness in J.M. Coetzee"というレクチャーがあり、さらに三人の研究者のとても興味深い発表があった。アトウェルさんの講演は、真摯さのなかにアイロニカルな笑いがちりばめられたクッツェー作品を、いくつかのキーワードを交えながら縦横に分析するもので、metalepsis という語が印象に残った。ほかにもtradgecomedy, immortality of writer, contingency, non-position, otherness, unsettlement of planters といった語がメモに残っているが、時間がすぎると細かな記憶がどんどん遠ざかっていく。

 余韻としてくっきりと残っているのは、むしろ、アトウェルさんの深い響きのいい声、人柄、話し方、語調といったことで、それは出席者全員によって共有された gift なんだろうと思う。作家や作品への共通の関心をもつ人たちが実際に会って、率直にことばを交わし、ハグして触れ合うことの大切さ。限られた人生の時間で、それは、いろんな情報を交換する以上に大切なことかもしれない、そんな気がする。

会が終わったあとの食事会、飲み会で出た話がまた、とてつもなくおもしろかった。80年代、90年代の南アフリカの細かな事情や、日本でそのころ反アパルトヘイト運動があった話や、先日他界したミリアム・トラーディのこと。ANCの資金調達係として初来日したズールー詩人マジシ・クネーネが80年代に亡命先のカリフォルニアからクッツェーに、クッツェー作品を賛辞する長い手紙を書いていたというのは初めて聞いた話だった。ほかにも現在の南アフリカの学生の動き、政治状況、出版事情など、じつにいろんな裏話が聴けた。

 二日目の最後の発表がゾーイ・ウィカムの作品についてだったためか、「『デイヴィッドの物語』を日本語に訳したきっかけは?」という問いが訳者へまわってきた。そのとき即座に「JMクッツェーの作品の歴史的な背景を日本語読者に知って欲しかったから」と答える自分がいた。それで、あらためて、そうだったのだと自分でも再認識したのだった。クッツェー作品をより深く(勘違いせずに)理解するためのコンテクスト(まあ、もちろん、それだけではないんだけれど)としての南アフリカ文学。カウンターとしての作品──あっちにもこっちにも、デイヴィッドがいるんだもんなあ。マニアックな話ですが……。
 
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付記:2017.3.29──デイヴィッド・アトウェルさんはクッツェー作品のなかで、なんといっても『マイケル・K』がいちばん好きだ、といっていたのを付記しておきます。彼の著書の副題"face to face with time"は、マイケルがスヴァルトベルグ山脈の洞穴のようなところにこもって、考えたことばだった。しみじみと、嬉しい。

2017/03/21

デイヴィッド・アトウェル──切り抜き帳

今日も1日、雨の降るなか、みっちりとデイヴィッド・アトウェルの著作を読んでいた。第1章はこれで三度目。読むたびに発見がある。とりわけ、『ダスクランズ』の訳者あとがきの参考になる部分には、何重にもアンダーラインを引いてしまう。

<南アフリカによってデフォルメされたぼくの人生>

この第1章に出てくる写真は衝撃的だ。サイモンズタウンのゴルフコースに植えられた松の木。写真のように、松の木は大西洋から吹きつける強い風によって、激しく傾いて、変形し、醜悪なかたちをさらしている。サイモンズタウンはケープタウンの中心部から半島を南下した、東側のフォールス湾に面した軍港。クッツェーはこの木のようすを、自分が少年時代にヴスターで受けた教育と重ねあわせている。

──これから書こうとしていた内陸のヴスターで子供時代をすごした何年かを振り返りながら、彼(クッツェー)はノートブックにこう書いた。「形を歪ませること。南アフリカによって、年を追うごとに、形を歪められたぼくの人生。エンブレム:サイモンズタウンにあるゴルフコースの形を歪められた樹木」



2017/03/18

デイヴィッド・アトウェル──切り抜き帳

第1章 An alphabet of trees. Autobiography - The uses of impersonality を読み始めるとすぐに、この本のサブタイトルは『マイケル・K』の草稿からとられた、と出てくる。スヴァルトベルグ山脈にこもったマイケルのつぶやきだ。そして、クッツェー文学の核を言い当てることばが続く。重要な箇所なので訳してみる。

アトウェル(右)とクッツェー
「時間/時代と向き合うこと」はクッツェーがフィクションを彼自身と歴史、および、彼自身とその死すべき運命のあいだに置く方法を伝えている。それは高度に自己を意識する方法で行なわれるため、結果としてクッツェー作品への批評は小説のメタフィクション的な特質をめぐる論評にあふれることになる──つまり書くことについて書くということだ。クッツェーのメタフィクションがめざす最も苛烈なところは、しかしながら、それが鋭い実存的問い、たとえば「この本にはわたしのための、そして、わたしの歴史のための場所はあるのか? ないとしたら、いったいわたしは何をしているのか?」という問いによって自分を試す手段だというところである。書物とはある意味、その作家が存在するという謎に答えなければならない。クッツェー作品とは、フィクション化された自伝にもとづく、巨大な実存的試みなのだ。この試みのなかで自伝と印されたテクストは、フィクションと印されたテクストとひと繋がりのものであり、フィクション化の度合いが異なるだけなのだ。


2017/03/16

デイヴィッド・アトウェル著からの切り抜き帳

 来週末のデイヴィッド・アトウェル氏の講演会まで、何回かに分けて、彼の近著、 J.M.Coetzee and the Life of Writing, 2015, Viking から気になる箇所を抜き出して紹介する。この本はJMクッツェーにケープタウン大学大学院で教えを受けたアトウェル氏が、クッツェー作品をその生成過程に肉薄して解き明かした本で、本当に面白い。

 これまで『マイケル・K』『少年時代』『鉄の時代』『サマータイム、青年時代、少年時代』『ヒア・アンド・ナウ』と訳してきた者にとっては、なんとなくわかっているが確信がもてないことをいろいろ質問できる絶好のチャンスでもある。予習、予習! 再発見としては、たとえばマイケル・Kについて、今日もこんな記述を見つけた。


More than any other character in Coetzee’s fiction, K embodies a capacity to survive the nightmare of history. It is not fanciful to suggest that by the time Coetzee wrote Michael K, the Karoo had become an essential part of the substrate of his creativity, a key element in his poetics. ──David Attwell, J.M.Coetzee and the Life of Writing, p54.
クッツェーのフィクションに登場する人物のなかで、Kほど歴史の悪夢を生き延びるための素質を体現している者はいない。クッツェーが『マイケル・K』を書くころには、カルーこそが彼の創造性の根幹をなす基本部分となり、彼の詩学を解くための重要な鍵となっていた。

2017/03/15

デイヴィッド・アトウェル教授の講演会

来週末、24日と25日に東大駒場でこんな催しがあります。予約不要、無料、だれでも参加できるようです。ただし、使用言語は英語で、通訳はなしです。

J・M・クッツェー研究の第一人者であるアトウェル氏を囲んで、2日にわたるシンポジウムが開かれます。まず読書会、それから講演、さらにクッツェー作品や南アフリカ、とりわけゾーイ・ウィカムをめぐる発表があります。
 
 デイヴィッド・アトウェル氏といえば、なんといっても2015年に出た J.M.COETZEE AND THE LIFE OF WRITING ですが、いま『ダスクランズ』の訳者あとがきを書くために再度読み直しています。読み直すたびに新たな発見があって驚きます。



 来週末はアトウェル氏に会って、じかにいろんなことを質問できると思うと、いまからわくわくします!

2017/03/13

ワイルドフラワーが春風に揺れる

そうだ、お知らせするのを忘れていた。
今月はひさしぶりに「水牛」に詩を書いたのだった。

ワイルドフラワーが春風に揺れる

これはよくわかる──奴隷貿易について

<数百年前の奴隷貿易が、現代社会にあたえている影響──当時のヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカの経済状況を含めて、なぜあれほど大規模な奴隷貿易がおこなわれ、それが何百年ものあいだ続いたか>

2017/03/09

『アメリカーナ』と「アメリカかぶれ」


チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』の日本語訳が出てから、いろんな人がいろんな感想を書いてくれている。とても嬉しい。ちらほら読んでいると面白いことがわかってきた。
 まず、この本はアメリカ社会の複雑な内部情報として読まれることが多いようだ。イフェメルという、米社会の外部からきた人の鋭い目線で、なかなか見えないところまで光をあてているのだから、それはそうだろう。半分はアメリカ合州国を舞台にした作品なので「アメリカ文学」として読む。それはありだ、もちろん。

「アメリカーナ」というタイトルからして「おお、アメリカか」となるのもわかる。この名前のブランドやバンド(いや音楽のジャンルか?)もあるらしい、というのもつい最近知った。
 まあ、アディーチェの本のなかで使われるときは、ナイジェリアの少年少女たちが、アメリカへ行ってアメリカ文化を身につけてきた同級生を「アメリカかぶれ」と揶揄することばなんだけれど。「あいつはアメリカ〜ナ〜だな」とか。

パートナーのイヴァラさんと
作品にはロンドンとその近郊を舞台とした移民のドラマも、細部にわたって描き込まれている。ナイジェリアのラゴスやスッカを舞台にした少年少女や家族の物語、あるいは政変、騒乱に人々が巻き込まれるシーン、主人公イフェメルが帰国して雑誌の編集をするところなど、ナイジェリア社会の描写も、もちろんたくさんある。細部のモノ、コト、ナイジェリア英語の独特のいいまわしなど、登場人物どうしのやりとりで、ナイジェリア人ってこんな感じで生きてるってことが浮かび上がるような場面も多い。

 だから、この小説は大雑把には、西アフリカ、西ヨーロッパ、北アメリカの三点を結ぶ大西洋を横断、縦断する物語なのだといえる。それはちょうど、何百年か前に奴隷を運ぶ船が行き来した航路そのままたどりなおす旅でもあるのだ。(まあ、カリブ海を中継したことは消えるけれど……。)
 
 そういう大きな枠ではなくて、細部を読み取る楽しみに焦点をあててみると、アメリカをめぐる感想が多いということは、日本語読者にとって「アメリカ」がいかに大きな存在であるかということで、そのことをあらためて実感した。先の大戦で負けた相手国の文化摂取の肥大化───戦後の70余年ってそういうことだったのかと。

 でもこれをきっかけに、「アフリカ諸国」とアメリカの絡み合った関係に目が行けばいいなあ、とわたしなどは思う。アフリカにそれほど関心がなかった人たちも、この本を読んで、アディーチェのほかの本も読みたいと思ってページを開く、となれば、これほど嬉しいことはない。
 いわゆる「アフリカらしい」ステレオタイプな「アフリカ文学」(使っちゃった、「アフリカ文学」という表現!)ではなくて。アフリカ出身のほかの、個々の作家にも興味がわく、という流れになると、もっと嬉しい。

 先日、ガーディアンにアディーチェのインタビューをもとにした面白い記事が載った。この作家の近況を伝えるとても内容の濃い記事だった。彼女の写真もたくさん載っているし、娘のこと、フェミニズムのこと、ナイジェリア社会のことなどを率直に語っているところがとても面白かった。おすすめです。(写真はその記事から拝借しました。)

男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社 4月刊)

 もうすぐ刊行ですよ〜。