2013/03/20

ジョン・クッツェーとの時間(1)

 さる3月初旬、文芸フェスに参加するため三度目の来日をしたジョン・クッツェーとすごした、短いながらなごやかで愉快な時間について、そしてそのときあらためて確認したことについて、忘れないうちに書いておこう。

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 ジョン・クッツェーは、じつはとっても諧謔趣味に満ちた人だ。その諧謔にはまた、外部から見ると容易に解明できないほど入り組んだ悲哀がたっぷり詰まっている。

 南アフリカのアパルトヘイト政権下へもどって暮らした1970年代から1980年代にかけて書いたものは、監獄のなかから書いているようなもの、という作家自身の言葉の通り、厳しい検閲制度下で書くという事情があった──笑いというのは基本的に、おなじような価値観をもっている人同士ではないと、なかなか伝わらないものだ。当然、利害も価値観も異なる読者が笑える内容というのはひどく限られてくる。しかし、である。

 人種とか、階級とか、生まれとか、歴史的な立ち位置とか、彼の作品には、舞台が具体的な南アフリカであれ、架空の時代や土地であれ、どうあがいても埋められない大きなギャップを可視化するような視点が書き込まれている。作中人物がさらされる暴力の源=権力構造と、近似したギャップの上にあるみずからの立ち位置を発見せざるをえない読者にとって、笑いはなかなかやってこない。彼の作品を読んだあと、ざらっとした感触が残るのは、このことと深い関係がある。

 しかし、彼の親しい友人知人はジョン・クッツェーの皮肉のきいた茶目っ気ぶりを十分知っていたし、それを体験してもいただろう。もちろん彼の作品を読めばわかるように、書く態度も、ことばを発する態度も、権力や権威に媚びることなく、狡猾といわれるほど思慮深く、しかも真摯で誠実だ。徹底的に彼の作品を読み込んで誠実にのぞむ人間に対しては、それとおなじように誠実に対応しようとする。
 いいかげんなアプローチをすると、ぴしゃりと遮断されるか、相手にしてもらえない。(とはいえノーベル賞受賞後はかなり変わった。)その厳しさへの恨みつらみだろうか、彼をめぐる情報には誤情報におもしろ可笑しく、ときには悪意を込めた尾ひれがついて流されてきたものが多い。かつてWikiに書き込まれていたことや、ノーベル賞受賞時の、彼のセカンドネームをめぐるニューヨークタイムズやタイムズの署名入り記事は、その典型である。(これについては昨年出版されたカンネメイヤーの伝記『J.M.Coetzee:A Life In Writing』の冒頭部分に詳しく出てくる。)

 Wikiなどに執拗に流されたクッツェーの性格をめぐるリアン・マランの言説について、彼はあるインタビューのなかで、きっぱりとこう答えている。(つづく