2011/12/01

TOUWSRIVIER──ケープタウン日記、番外編(2)

クッツェーの自伝的三部作の第一部となる『少年時代』に「ヴスター/WORCESTER」という地名が出てくる。もとはイギリスの「ウスター」からきた地名がアフリカーンス語なまりとして「ヴスター」という音で呼ばれていた。
 そこからさらに内陸に入ったところに「TOUWSRIVIER」という町がある。カルーの入口といっていいだろうか。しかしこの「TOUWSRIVIER」をなんと読むか、これが最後の最後までわからなかった。町の人に聞くのを失念して、リターンしてきてしまったのだ。
 あきらかにアフリカーンス語表記であることは後半の「RIVIER」からわかる。英語なら「RIVER」、そう「川」という語だ。前半は「タウス」「トウス」あるいは「タウヴス」・・・いやはや、ケープタウンにもどってから、何人かの人に尋ねてみたが、どうもはっきりしない。

 泊まっていた宿の受付の男性は自信たっぷりに「俺はこの名前、知ってるぞ。トイスリヴァーだ!」といった。書店に勤めている、どう見てもアフリカーナー由来の姓ながら、第一言語は英語だという若い女性は、はたと考え込む。さすが教師であり作家でもある彼女は「じゃあアフリカーンス語を母語とする人、呼んであげる」といって受話器を持ちあげた。呼ばれて店の奥からあらわれたのは、マレー系のムスリム女性(とわたしには思えた)。

 ヨーロッパ語どうしの翻訳なら、こんな苦労はせずにすむが、日本語は土地の名前等は、カタカナという表音文字であらわさなければいけないので、発音を調べる必要があるのだ、と説明する。彼女によると「Wはサイレント」だという。そして、わたしの耳には「タウスラフィール」と聞こえる音を小声で発したような、いや、聞き違えたかもしれない・・・。

 書店を出て、はたと気づく。カタカナ表記はあくまで便宜的なものにすぎない。おなじ南アフリカの、おなじケープタウンという街に住む人たちのあいだでさえ、これだけの違いが存在するのだ。アルファベット表記はひとつだとしても、それを具体的な音にする経路は人それぞれ。どんな母語によって育ったか、最初にどんな音として耳に入ったか、ふだんどんな言語で暮らしているか、によって異なる。その違いにこだわるか、こだわらないか、それもまた人それぞれ。

 たったひとつの地名が、多言語、多文化が重層的に現存する社会のなかではこれほどまでに異なり、揺らぎながら存在しているのだ。どれが正しいなどとはいえない、まさに「虹色の世界」。それをカタカナという日本語表記に変換することによって、あるひとつの音として固定するのはかなり一方的、断定的な行為であることに、あらためて気づいた。得難い体験だった。

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2012.11.6追記:この地名 Touwsrivier は『マイケル・K』にも出てきました。そこでは「タウス・リヴァー」としてあります。もうすぐ発売になるゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』でも、実際に現地では多くの人が「タウスリヴァー」と呼んでいる事実から、また、作品相互間の響き合いを考えて現地音主義を採用し、訳書内では「タウスリヴァー」と表記したことをお断りしておきます。