2009年7月13日

アフンルパル通信 第8号──ピンネシリふたつ

「アフンルパル通信」は、札幌の書肆吉成が年に3回発行する「雑誌」だ。
 
 A4を縦に半分に折った形の冊子には、毎号すばらしい写真が掲載される。今号の表紙写真は富士山の火口、石川直樹氏の作品。
 題字は詩人の吉増剛造氏の筆。

 詩を2編、「ピンネシリ 1」、「ピンネシリ 2」を寄稿した。右上の「Café」にはりつけた連作の、出だしの部分にあたる。
 
 「アフンルパル通信」は小さいながら、実に切れのいい短文や詩や写真がならんでいる冊子で、手に取るとその圧縮された存在感がまたきわだつ。ぜひ、実際に手に取ってみてほしい。問い合わせはこちらへ

2009年7月12日

わたしのジャズ修行(5)──アート・ペッパー/チェット・ベイカー

1969年ころに聴いて良い、面白い、すごい、と思ったジャズは、結果として、まず黒い肌のアメリカ人が演奏する音楽が多かった。そういう音楽として最初に認識したからなのかもしれない。おおいに偏見が入っていたことは、いまとなっては明らかだが、この偏見は一考にあたいするかもしれない、とも思うのだ。なぜなら、音楽そのものに埋め込まれた「切れ」が違うから。その「切れ」の違いを識別できる耳を育てよう、自分の感覚として獲得しよう、とあの当時はっきりと意志したのを覚えている。以来、ジャズ批評のたぐいはいっさい読まなかった。

その結果なのかどうか、とにかく、ああ、いいなあ、と思うのはニューヨークなど東海岸のアーティストのものが多かった。西海岸から発信される音楽、とりわけハリウッド近くから出てくる音楽は、好みではなかった。なぜだろう? 

最近、とある新聞記事のなかで触れられていた「チェット・ベイカー」とはどんなミュージシャンか、と家人に問われて、説明できなかったので(知人の推薦するアルバムを)1枚だけ買ってみた。「Chet Baker sings」だ。1950年代半ばの、ロスとハリウッドの録音、ベイカーはまだ20代後半の若さだ。このトランペッター、確かに、あまくて柔らかい素晴らしい音を出すのだけれど、私がアルバムを一枚ももっていない理由も、これを聴いてよく分かった。あますぎるのだ。(思い出すことば──甘さと権力!──笑)
 全曲歌が入っている。
 こんなふうに歌うのは3曲くらいで十分、あとは楽器だけでいいのに、と家人とも意見が一致した。自己憐憫寸前の、過剰な退廃的雰囲気が濃厚で、それを臆面もなく前面にだしてくるところが、まことに鬱陶しい。

しかし、この時代の西海岸のジャズで、私が唯一例外的にもっているアルバムがある。「The Rreturn of Art Pepper」。このサックス奏者、音色はあまいが、切れはかなりよい。LPで聴いていたものを80年代にCDで買い直した。
 いずれにしても、麻薬、アルコール、セックス、退廃の極みのような米国の男中心の文化が咲かせた花である。

 あの時代、ジャズ音楽で身を立てることは、黒人男には立身出世になるけれど、白人男にとってはメインストリームから完全にはずれていく「落伍者」のイメージだったのだろう。おなじ音楽をやっても、まったく社会的意味合いが違ったことになる。ビリー・ホリディが歌う「Body and Soul」や「My Man」は臓腑にしみるすごさがあった。その理由を、いま、改めて考える。私たちの手元には、すでにトニ・モリスンの作品群があるのだ。

(ちなみに、50年代末から60年代初めに録音されたものを聴きたいという方には、スイング感あふれる、レッド・ガーランドをお薦めします!)

 やがて生演奏をやるジャズスポットへ通うようになってからは、もっぱら日本人の演奏する生の演奏を聴いた。彼らの出したアルバムは、買ったとしても部屋で聴くことはまれで、現場で聴くジャズと、部屋で聴くジャズは、わたしの場合、はっきり分かれていたように思う。 

2009年7月10日

7月の田圃


湘南に住む知人のつくっている「たんぼ」です。
心なごむ原風景!

2009年7月5日

本と旅する、アフリカ

7月6日発売の月刊誌「スタジオボイス 8月号」に、インサイド・アフリカをディープに旅するための本、を紹介しました。新旧とりまぜて、以下の7冊。

<ガイド1> 中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(2009)

<ガイド2> 岡真理著『アラブ、祈りとしての文学』(2008)

<セネガル> ファトゥ・ディオム著/飛幡祐規訳『大西洋の海草のように』(2003)

<ナイジェリア> チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著/拙訳『アメリカにいる、きみ』(2007)

<コンゴ> バーバラ・キングソルヴァー著/永井喜久子訳『ボイズンウッド・バイブル』(2001)

<南アフリカ> J・M・クッツェー著/拙訳『マイケル・K』(2006)

<トランス・アフリカ> 岡崎がん著『トランス・アフリカン・レターズ』(1997)

 ほかにも中村和恵さんがアミタヴ・ゴーシュの面白そうな『In an Antique Land』を紹介していたり、管啓次郎さんが、「自分の皮膚の外はすべて異郷」とおっしゃる西江雅之氏の傑作5冊をあげていたり、なかなかの面白さです。

 ちなみに『マイケル・K』の雑誌掲載写真はなぜか、古い単行本の表紙。いま手に入るのは新しい全面改訳版<ちくま文庫>ですので、お間違いなく。

2009年7月1日

ローレルの実とまさしくん

今年も昨年につづいて、4月にローレルの花が咲きました。

 そしていま、左の写真のような実がなっています。花が咲いていたところから軸が伸びているので、これは、その結実であることが分かります。さて、この後はどうなるのかしら? 楽しみに、日々、観察です。ちなみに、実はぜんぶで3個ついています。

 今月の「水牛だより」にのっていた情報!
 佐藤真紀さんの、生まれたばかりの 赤ちゃんのニュースです。ようこそ ! 「粗末にしてきた国だけど(@藤井貞和)来てくれてありがとう」ということばも「ホントニナ」ですが、とにかく、かわいい!!!
 

2009年6月22日

南アフリカ──1Q94?

昨日、たまたま観たNHKのテレビ番組「海外ネット──W杯準備は万全?」で、アパルトヘイトについて触れた箇所がありました。アパルトヘイトが完全になくなった年を1994年として、画面の右下に大きな太い文字で「1994」と出していたのが強く印象に残りました。

「それぞれの民族の分離発展」を名目としてうたい、権利を奪われた人たちを搾取しつづける制度を合法化し、政策を正当化し、「人間への犯罪」とまでいわれた南アフリカのアパルトヘイトでしたが、当時のデクラーク大統領が国会で法律そのものの廃止を宣言したのが1991年、それから解放組織への政権委譲のための交渉委員会が設けられ、この間、さまざまな政治勢力の衝突、虐殺、暗殺などの時期を経て、ようやく全人種参加の総選挙が実施されたのが1994年の4月でした。
 
 したがって、南アフリカの人たちは「1994年」を「解放の年」と認識しています。映画「ツォツィ」でも「ホテル・ルワンダ」でも、登場人物たちが「1994年の南ア解放」と言っていました。(字幕にはならなかったかな?)

 ところが、日本ではどういうわけか、1991年をもって「アパルトヘイト撤廃の年」とする人たちが少なからずいたのです。本当になぜでしょうねえ? それでも、昨日の番組を見るかぎり、「1994年」がようやく定着してきたように思えます。

 まあ「撤廃」といっても、現実には、貧富の差が開いた、といわれていますし、南アに何度も足を運んできた人のなかには、現状を見て、「まだアパルトヘイトからの解放はない」と言い切る人さえいますから、この辺のことは実情を細かく見ないかぎり、どっちがどうだ、と言っていても始まらない部分も残りますが、やはり、それはそれ、これはこれ、です。

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<2009.6.28追加情報>
映画「Disgrace」の予告編がここで見ることができます。ご興味のある方はどうぞ。

2009年6月17日

Davy Sicard──KABAR

いま聴いているのは、パリから帰ってきたばかりの友人が送ってくれたCD。フランスの海外県、レユニオン島出身のダヴィ・シカールのアルバムだ。どちらかというと高めの、少しだけハスキーな、なかなかしぶくて良い声で、切々と歌う。私の好きな音楽です。

 タイトルの語「KABAR」は「村の木陰で開かれる話し合いの会」といった意味らしい。15曲入っているが、クレオール語がほとんどで(後半にフランス語もちらほら聞こえてくるけれど)、意味は残念ながらよくわからない。

 しばらくは、毎日、このCDをかけて暮らそう。